ベトナム人に「仙人様」と呼ばれる日本人がいる。彼は口唇口蓋裂の無償手術を通して、数百人の子供たちに微笑をもたらしている。
山本忠医師(愛知県豊橋市民病院)の名刺はちょっと変わっている。印刷された文字と並んで点字が刻まれており、目の不自由な人も必要なときに彼 に連絡が取れるようになっている。そしてこの68歳の医師は18年間ずっと、毎年来越しては北から南まで500人以上の子供たちのために無償で治療を続け ている。
■始まりは思いやりの心
「私はベトナムで訪れた場所にとてもよく似た日本の田舎で生まれ育ちました。どこにでも口唇裂の子供がいて、社会的に虐げられていました。だから私は子供の悲しみ、そして親たちの悲しみがよくわかるんです」と山本医師は語り始めた。
この同情の気持ちから、年に2~3回も山本医師は私費で航空券を買い、ベトナムの農村や山岳部を訪れて、口唇口蓋裂の子供たちの整形手術を無償 で行っている。さらに山本医師は子供たちに1人30万ドン(約15ドル)を贈っている。子供が口唇裂であることによる僻地の重苦しい社会の偏見の中で、彼 の支援により貧しく不幸な数百人の子供たちの人生が変わった。見知らぬ人に会って顔を伏せて逃げていたのが、今では写真を撮るたびに、どの子供も大喜びで 彼に抱きつき、美しい笑顔でレンズをまっすぐ見つめる。
それだけでは終わらない。彼は仕事を終えると、聴診器をとって白衣を脱ぎ、頭の上にピエロの帽子と、赤い大きな鼻をつけて、子供たちに手品を見 せる。どの子も大喜びだ。Nguyen Thi Vangさん(Quang Nam省Tam Kyで山本医師の手術を受けた子の母)はこう言う。「ここの人たちは山本先生を仙人のように思っていますよ。先生はとても慈悲深くて、かわいらしくて、子 供たちのことが大好きなんです」。
■治療するだけが仕事じゃない
山本医師は治療するだけでなく、毎年、日本の病院や友人たちから提供してもらった医療機器をベトナムに送っている。設備を受け取ってすぐ送るの ではなく、検査や修理をし、電気コード、ライトをチェックし、機械の動きを調整してからベトナムに送る。ベトナムに送った設備はあわせてコンテナ6個分、 金額にして100億ドン(約50万ドル)以上だ。Quang Nam省総合病院は2002年に手術台、照明、麻酔器、心電計の支援を受けた。10年経った今も良い状態で稼動しており、このお陰で同病院の手術件数は約 3,000件から1万件近くまで飛躍的に伸びた。
山本医師は技術も伝えたいと思っている。「ベトナムの医師たちがただそばで見ているだけでなく、この技術を知り、私がいなくてもできるよう、一 緒に手術をして欲しいと思っています」。18年が経過し、山本医師はQuang Nam省総合病院、フエ医科大学、ハノイ歯科口腔科研究所の広い世代のベトナム医師にとって、尊敬すべき先生となっている。
さらに山本医師は豊橋市民病院や全北大学校(韓国)から医師や研修生たちを呼び、ベトナムの各地方で治療にあたっている。「医師たちが大きな大 学病院で豊かな人たちのための治療だけに専念していたのであれば、社会に対する自分の重大な責務を感じることはできませんし、貧しい人たちの真心を受け 取ったときの大きな感動を経験することもできないでしょう」と山本医師は語る。
彼が医師団に非常に若い医師を優先しているのは、農村で患者に最も近づいた生活を経験するチャンスを与えようとしているのだろう。学生としてやってきた人が医師となったとき、多くの医師がベトナムに何度も戻ってきている。
■家は狭くても心は広く
ベトナムでの山本医師の活動を知った多くの人々は普通、彼が日本の億万長者なのだろうと考える。日本の有名な教授であるにもかかわらず、ベトナ ム人から贈られた記念の絵や写真すら飾るスペースがないような小さな集合住宅で山本夫妻が質素な生活をしているということを知る人は少ない。
「日本の私の住まいはとても小さいですが、問題ありませんよ。私はベトナムにもうひとつ大きな家族がいますから!」と山本医師はユーモラスに語 る。実際、彼の得たお金のほとんどは、ベトナムでの治療や設備の購入に使われている。定年から3年経ち、年金は少なく、体力も衰えているが、彼はいまも周 囲の薦めはどこ吹く風、あらゆる節約に努めて、毎年私費でベトナムにやってきて休むことなく治療する。
「私にとって最も大きなご褒美は、子供たちの笑顔です。それで十分です」と彼は優しく笑った。
(Tuoi Tre)